彼は生まれた時から全盲だった。
まわりの人からは「暗くて不自由でしょう?」とよく言われるが、
ミュー氏は不思議に思う。
暗さって何? その感覚が分からないのだ。
生まれた時から明るさも暗さも比較するものが何もなく、不自由でないのだから。
一度もこの世の姿を見たことのない彼は触覚、耳、味覚、匂い、体温、言葉が世界と思って
いるから、当たり前の生活を送っているだけなのだ。不自由は無い。
彼はそして詩人なのだ。
街ですれ違う人の体臭、靴音、呼吸音でその方の気持ちを把握して記すのだ。
言わば代弁して叫んでいるようなものだ。
街に出ればかならず人とすれ違う、その人間音を彼は非常に受けやすいのだ。
盲人特有の感覚なのかもしれない。
夜、今日すれ違った方々の人生の重荷を点字でコツコツ打っていく。
いろんな苦しみを引きずりながら生きている人の多いこと、
今は子供まで苦しみに満ちている悩みを抱えている。
心が鏡面のようにスッキリした爽やかな体臭を放つ人は稀だ。
目が見えなくて私は幸せだったなと彼はつくづく思う。
目が見える人の世界と目が見えない人の世界は生きている次元が違うのだな。
もしかしたら別種の人類かもしれない。
彼は今日も生き生きと爽やかに街を歩く。